酔っ払った勢いでずるいと呟きたい

捻くれ者でケチでゲーマーとかいうタイプの対極をいく人におちた話。

はてなブロガーの熱量とその緻密さ【ジャニオタ】

みなさま!オタクといえば!パッション!!!!!!ですよね!!!!!!!!パッション!パッション!!!!!!オタ芸!!!!

 

わたしはジャニオタなんで、その界隈のことしかわからないんですが、トータルで見てはてブの人のパッションってやばくないですか?!推しに対する長文や鋭い考察なんて、よく広告なしで書けるな、ってくらい。もう利害とかじゃない次元なんだろうね、呼吸の如く、吐いたものをそのまま文字に起こしただけなんだろうなあ。さてそんなわたしですが自担に対するパッションはすごい。学校のレポートは全く進まない隣で、毎度こんなものが出来上がってるんですから。(それを人は現実逃避と呼ぶ)

 

 

語彙力の限りにおいて “自担のどこか魅力的で私を掴んで離さないか” 全力でぶっ放して文字が追いついていない

 

ちなみにこれが私の知っているジャニオタのはてブの用法です。素晴らしい。美しいなあ。

 

 

その愛は海よりも深く宇宙よりも大きく無限大の力を秘めています。さあ、今宵、その力をベールを剥がしてつまびらかにしていきましょう〜〜〜〜〜〜!!!

 

(編集記:なんかもう本当にごめんなさい、書かないほうがまとまりいいし美しいんだけど書かずにいられなかったの!思いついちゃったから!!これもぜんぶ深夜テンション、何か気の迷い、だと筆者も思いたいのですが、時計を見ると残酷にも12時、真昼間でございます。通常営業のようです、本当に自分しんどい。そういうとこよな。)

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

これを読んでいる皆さまは、どうやってこのブログのこのページに辿り着きましたか??

 

 

常日頃自分が何を探し求めてインターネットの海を彷徨っているのか自覚していますか???

 

なんとなく?それもいいと思います、直感に従ってる感じ。そうするといい感じの記事に出会ってテンション上がるよね、わかる。

 

 

 

けれどわたしは言いたい、

 

 

もし「オタクとしての情報」を得たいのであれば、我らが得たい情報は、もう検索エンジンにはないのではないか、

 

もはやTwitterに一極集中しているのではないか??

 

 

 

 

理由はいくつかある。

 

 

 

まず、検索エンジンから得られる情報の薄っぺらさ。表面的。現代のインターネット環境では「○○○○(自担の名前)」と検索してみたところで、一部を拡大解釈したクソ記事かアフィリエイト、釣りサイト、「いかがだったでしょうか?」系、のSEO対策された退屈な情報の羅列サイトしかヒットしない。これはファンになりたてで、誕生日は?出身地は?身長は?というレベルの情報であれば有用かもしれないが、私たちマニアからすると既に知っているため目新しい面白いものは特にそこにない。単なる辞書。わたしたちを満足させるものは辞書なんかに載っていない。強いて言うなら「尊い」の定義くらいだろう。

 

そして何よりTwitterの情報の速さ。はやい。秒単位で新しいものが更新される。飽きない。今や動画でさえも載せられて、Twitterで上手くワード検索すれば、見たかったあの放送のあの尊いシーンが観れるではないか!(違法なことも知っているがもはやこれだけ流布しているものをどう扱っていくのが正しいのか分からないのも事実)

 

 

 

けれどここで実際のTwitterライフを振り返ってみてほしい。Twitterで得られるものにも「飽き」がくる。毎日ファストフードばかり食べていると、もっと深みのあるものが欲しくなる。そんな感じ。

 

そのときにわたしたちが欲するのが、はてブというわけだ。(そうそう、ここに辿り着きたかったんだよ)

 

これはすごい。Twitterで集めた情報が整理されていく感覚。体系化されていく。理論化されていく。これはひとつの感動といっていいだろう。

 

わたしたちはオタ活をすることで、尊いとか萌えとか「心の充足」を求めている。いや、これはオタ活だけではない、人生で求めているものもこの「感情の動き」なんだとおもう。

 

 

そうなってくると、単なる情報の羅列ではなくて、世界観やストーリーのあるものにわたしたちはこころを寄せるのだ。そしてわたしたち「個人」と「推し」の間にある差を埋めるのが「はてブ」というわけ。(はてなの回しもんじゃないよ)

それぞれの内面の独白から見る推しへの見方というのは、とても共感性が高くて「わかる!」となりやすい。そしてそれぞれか本当に繊細で日々生きている上で見落としそうな気づきにまでスポットライトを当てていてその緻密さに驚かずにはいられない。

 

 

わたしが感動したツイートに次のようなものがある。

 

三秋 縋 on Twitter: "「救いの言葉」に救われた経験はよくよく考えてみるとほとんどなくて、どこかの誰かが好き勝手やってつくった美しいものや愛おしいものを見てこっちも勝手に救済される、という経験の方が多かった。誰かが百パーセント自分のためにつくったもののみが、僕たちに自分の救い方を教えてくれるのだと思う。"

 

 

 

結局さ、冒頭に戻るけども、どんな物事に対しても、ファッションではパッションでやってるヤツに勝てないんだとおもうね。自分の中から突き上がる感性を信じて最後まで自己満で走り進むオタクと、他人に認められようとしてそれをまとうパンピーの差なんだ。それはしかたない。でも幸いなことにね、わたしたちはみんなどこかでオタクになれるんだ。だから、ね?周り気にせずに自分が好きなようにオタクしようぜ!って話!!!!!!!!!以上!!!!

 

 

 

 

今日も二宮くんが嵐の二宮和也でいてくれて幸せです。ありがとう。久しぶりの更新になりましたが、嵐がすきです。5×20最高です。社長が誰であれ事務所がどうであれ、そこにかけた人間の思いは存在してますから。京アニの復興に願いを込めて。これ以上残酷なニュースが流れず、幸せな世界になりますよう。